http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20151118-00000009-asahik-soci

(耕論)裁判員、なぜ辞退 古平衣美さん、阿曽山大噴火さん、飯考行さん朝日新聞デジタル 11月18日(水)11時30分配信 (有料記事)

古い記事ですが、裁判員経験者の古平さん、法廷ウオッチャーの阿曽山大噴火さん、飯考行さんによる、裁判員制度に関するコメント記事が、昨年の11月18日に配信されています。
この記事から1年、いくつか気になる点がありましたので、コメントされたお三方のうち古平さん、阿曽山さんのコメントについて思うところを書かせていただきます(飯先生のコメントに対しては、また時間をみて書かせていただこうと考えています)

1 古平さんのコメントに関して

検察官は言いました。「犯罪を他人事と思わない人が増えれば、犯罪の抑止力になる」」

→私の意見:犯罪は他人事と思ってる人がそんなにいるのか疑問だし、そもそも「他人事ではないと思う人の増加」と犯罪減少という「効果」との有意差が身検証なのに、裁判員制度による様々な弊害を甘受してまで制度を続けるほどの効果を期待する意味があるのか。

幅広い知識と経験を裁判に生かす制度の趣旨

→それがそもそも変。裁判はあくまでも法廷に顕出した証拠から認定された事実を法に当てはめて判断する過程。それ以外の要素が介在するのは裁判の作用ではない。

あるとすれば上記過程のうち「認定」の部分と思われるが、それは僕がそう理解しているだけで(どう善意解釈してもそうとしか考えられない)、これが共通理解となっていないのだから、変なところで証拠になく検証不能な、ときには非科学的な「幅広い経験」とやらが法廷で援用されるのは、極めて危険である。

2 阿曽山さんのコメントに関して

そもそも、なんで裁判員にならなきゃいけないんですかね。国民が司法に参加する意義って? 裁判に市民感覚を反映させる必要性は? 司法と国民の距離が近くなれば、冤罪(えんざい)がなくなったり、犯罪が減ったりするんですかね。その根っこの部分を、納得できるように答えてくれる人がいない。謎ですよ

→強く共感

公判前の整理手続きの段階でやりとりが事細かに決まっていて、アドリブが利かなくなってる気がします。
→法律上アドリブ禁止が基本なので鋭い指摘。裁判員の都合に合わせた結果、というのが制度や運用の根底にあるという点にあることがうかがえる。
評議の内容を漏らさないよう課されている守秘義務も、だいぶ裁判員を尻込みさせてると思いますよ。もっとオープンにしたらいい。」

 

→ここは疑問あり。守秘義務をガチガチにしなくてはならないのは、適切な情報コントロールができないから。そういう懸念がある以上、ガチガチにするから、参加させないかの二択しかない。

3 意見

・・・と、簡単に一部思ったことを指摘させていただきましたが、この記事の全体としての趣旨は、①裁判員の辞退者が多い②それを憂えている③どうにか理解を求めたい、という点にあるものと思われます。

私には、どうして報道機関がここまで裁判員制度に肩入れするのか、不思議でなりません。

裁判員制度の導入にあたっては、ものすごいコストを、税金でかけています。

たとえば福岡地裁など、もうすぐ移転するのに、新しく刑事裁判対応の建物を一棟丸ごと作りましたし、既存の法廷の中にも裁判員が9人座れるようにしたり、大きなディスプレイを置くなどしています。

また、裁判員は、候補者として呼ばれたら1日5000円(50人程度呼ぶので、一事件で25万はかかる。しかもそのための裁判所職員のコストもかかる)、正式に選ばれた裁判員には1日1万円(9人プラス補充裁判員分)を支払うので、公判1日12万円程度がかかります。

さらには、相当な宣伝広告費を使っています。PRビデオには酒井法子や村上弘明など、著名なタレントを惜しみなく起用し、しかも何種類ものビデオをつくっています。
(のちに、酒井法子バージョンは、例の事件のため、即日回収されています)
裁判所・検察庁にはいまだに「山口六平太」のPRアニメが朝から夕方までずっと流れています。
チラシやHPにも力が入っています。
裁判所職員、法務省関係者の名刺には裁判員制度PRのロゴが入っています。
サイバンインコという「かぶりもの」のぬいぐるみもあります(検察庁の入り口に鎮座しています。最近使ってないのではないかと思われる)。

これらには、相当な製作費をかけたのでしょう。

このように、裁判員制度の導入にあたっては、多大なコストがかかっていることも、租税負担者である我々は、一応意識しておく必要があるように思います。