ツイッターにおいて、下記のような投稿がありました。
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このツイートのご指摘の通り、痴漢事件だと、手元の動きが問題なので、痴漢事件の起きるラッシュ時には監視カメラはほとんど役立たないでしょう。
そこで感じた、刑事弁護の抱える闇というか問題について、少し書きたいと思います。
よく、無罪の証明のために、「あそこに監視カメラがあった。出してもらってほしい!」と言われることがあります。
そもそも、刑事事件においては、証拠は警察・検察が集めます。
その証拠は、一次的には、検察官が、公判請求(裁判にかける)するかどうかの判断材料に使われます。起訴前に、弁護人(被疑者)に開示されることはありません。
公判請求されてしまった場合でも、すべてが開示されるわけではありません。
では直接鉄道事業者などカメラの所有者に弁護人側が「私的に」開示を求めてみるとどうでしょうか。
この場合には、プライバシーなどを盾に、絶対に出してくれません。
弁護人は「公的」な存在とは制度上認められてないことに注意が必要です。
つまりは、日本の刑事司法において、捜査機関側は「公的」なので令状によって強制捜査が可能ですが、弁護側は「私的」にすぎないので、そんな手段は持っていません。
個人情報やプライバシーを盾に、手がかりになりそうなものはなかなか開示してくれなくなっています(しかも、あるのかないのかわからない証拠に対して、「なぜそれが必要か」の説明に相当な時間と手間を食わされる)。その傾向は年々強くなっていると思います。
痴漢事件で無罪を取った事件を見ていると、きわめて限られた材料(被疑者被告人側からの聴き取り、被害者側の供述の矛盾点をつく、くらいのことしかない)をテコにした再現実験などの、涙ぐましい努力をして、時間と手間をかけてようやく勝ち取ったものが多いのです。場合によっては手弁当なのだろうと思えるものも多いです。
制度が変わるともっとやりやすいと思うことが多いです。
しかしながら、制度を変えるためには国会で変えなきゃいけない=国民の理解が必要ですが、
「弁護士=悪いやつの味方」
「逮捕されたやつ=悪いヤツ」
というのが残念ながら自分が弁護士稼業をしてきて現場で痛感している「世論」なので、いくら弁護士側がそうじゃないと思ったり声を大きくしても、「世論」が変わらないと、制度(法律)は変わらないのです。
痴漢冤罪問題が最近クローズアップされることが増え、電車通勤をしている人にとっては他人事ではないともいえるのですが、「世論」は必ずしもそうした声を「忖度」してくれるわけではありません。
被害者もいる事件なので、被害者側の意見も、聞いておかなくてはいけない問題だと思います。
ただし、冤罪が起きるということは、裏を返すと、真犯人を逃す、ということになるので、冤罪の発生は、治安維持という面からもマイナスでもあります。
冤罪を起こすことなく、本当に悪いヤツはきちんと裁かれる、というのが刑事司法の理想です。ただ、電車の監視カメラというのは、そうした理想に近づけるツールには、なかなかなりえないだろう、というのが、現場にいる自分の雑感である、ということを申し上げたかったのです。